冴えない彼女の倒しかた第三話
締切とは当然のことながら守らなければいけないものである。だが、作家という存在の前では往々にしてないがしろにされることがある。つまり、あとの人員が頑張れば締切を多少遅れようとも間に合うということである。
「はい、はい、大丈夫、なはずです。……多分。現状ようやくラフがあがるかなあと、もちろん、四色刷りで、ええ。前回も間に合わせたので大丈夫です! はい、明日の朝までには必ず! もちろんです。ありがとうございます!」
とまあ、こうして締切を破ったとしても編集であったり印刷所の方々が本気を出してくれれば間に合うのである。まあ、同人だから実際に頑張るのは印刷所と交渉役なんだけど。
「ねえ、倫也。お腹空かない?」
「駄目に決まってんだろ」
「別にいいじゃない。前回も似たようなものだったけど結局間に合わせたし、あたしってほら、追いつめられた方が力を発揮するタイプだし」
「いいわけないだろ……英梨々」
そして我儘をいうのが金髪(ryの澤村・スペンサー・英梨々であり、交渉するのが俺、安芸倫也だったりする。
「ええ~、いいじゃない。お願い、ともくん♪」
「あ、もしもし山川さんですか? 進捗の方なんですけど、何とか今日の晩には終わりそうなんで、申し訳ないですけど残っててもらえませんかね?」
「ちょっと倫也何勝手に締切早めてんのよ!」
「だったら真面目に原稿してくださいよ、柏木エリ先生」
「ちっ、わかったわよ。ただしあんたもネタを考えなさいよね」
こいつ舌打ちしやがった! 自分が締切を遅らせてる圧倒的に悪い状況にもかかわらず!
「あのなあ、俺なんかに頼むより――」
「絶対にいや」
「最後まで言ってねえだろ……」
「あんたの言いそうなことぐらいわかるわよ。言っておくけど霞詩子にアイデアを頼むくらいならあたしは限定コピー本を選ぶわ」
そこまでかよ。お互いの腕を認め合ってはいるんだから素直に協力し合えばいいのに。ちなみに英梨々は転売厨に儲けられることを死ぬほど嫌っているのでそれを選ぶというのは相当である。
「それに……言ったでしょ。あたしは、二年前に」
「あったな、そんなことも」
「だから、霞詩子に頼るくらいならあんたに頼る」
「それはどうもありがとうございます」
「というか金だって払ってるんだから手伝ってもらわないと割に合わない」
そう、これが色々やってるうちの一つだ。英梨々の同人活動の手伝いも、美智留のマネージャー業もそうだ。多少なりとも金銭をもらっている。いや、まあ、多少。
先輩のは仕事だからともかくとして、英梨々、美智留に関してはむこうから払ってくれたもんだけどな。仕事ぶりをみとめてもらってのことだと信じたい。
「金なんてもらわなくても働くさ。好きでやってることなんだからな」
「さて、そろそろ――」
「じゃあ、俺は買い出しでも行ってくるわ」
「あんたが食事を禁止したんでしょうが! それに十八歳を超えてるんだからエッチシーンの台詞打ち合わせができないとは言わせないわよ!」
俺はここ数年の経験から全てを悟った。この状態に入った英梨々から逃れることなんてできない、と。皆、締切は早め早めでこなそうな。
「あー、疲れた。書き上がった後の爽快感って何事にも変えがたいわよねえ」
二年前はこの状況になると死にたい言っていた奴がこうまで変わるものである。単に男として見られていない気もするが。
「もっと早めに動き出してくれればこっちとしてはもっと楽なんだけどなあ!」
「だから、何回も言っているしょ。……作家が原稿遅らせることに理由なんてないのよ」
えっと、皆締切はちゃんと守ろうな!
「で、明日はどうすんだよ。俺はもちろん行くけど、流石に一人じゃ捌ききれないぞ」
ちなみに腐女子の母親とオタクの父親は晩餐会らしい。どうやら毎年この時期はあると考えた方がよさそうだ。
「じゃあ、あたしも参加するわ。一回寝るから時間になったら起こしてね、egoistic lily代表の安芸倫也さん?」
「了解、あとは任しとけ」
俺が電話で開場前の搬入を取り付けていたころには英梨々は完全に寝息を立てていた。畜生、お気楽な奴め。まあ、それが信頼の表れだとすればちょっと嬉しかったり。と、ふと時計を見ると結構時間的にやばかったりして、
「モカの錠剤、足りるかな」
なんて心配をしたりするのだった。
「じゃあ、倫也。店番お願いね」
「おい、ちょっと待て!」
なんてやり取りのすれ英梨々はイベント開始と同時に飛び出していった。目の前には続々と列が作られていき、正直なところ一人では到底捌けない数にまで膨れ上がっていた。
「まあ、なんとかなるだろ」
ファミレスで鍛えたレジ打ち(レジがあるとは言っていない)で素早く回していくもやはり絶対的に人手が足りない。にも関わらず、俺が楽観的でいられるのにはわけがある。
「と、ともやぁ。む、むりぃ」
とまあ、生粋のブルジョワオタクであり鶏ガラ娘でもある澤村・スペンサー・英梨々には同人誌即売会の荒波を生き抜くことができないという目算があったからだ。
「よう、お疲れ。さっさと会計手伝え」
「倫也、あんたこれわかってたでしょう。なんであたしを新刊の確保に行かせたのよ!」
「行かせたというかお前が勝手に行ったんだろうが。それにさっさと手伝え」
「わかったわよ」
小声で叫ぶという器用な真似でこそこそ話している俺たちを客はあるものはなにやってんだこいつらと、あるものは早く会計しろよと(英梨々に対してのみ、俺はちゃんと手も動いている)、あるものはいちゃつきやがってと、様々な視線が向けられている。
と、さほど役に立っていない英梨々を尻目に俺は手早く客をさばいていく。さて、と列はあとどれくらいだと一旦確認する。…………。――やっぱり多いな。
ちょっとやばいかもしれない。英梨々が予想以上に会計係として使えないせいで予定より列が捌けていない。頑張れ、俺。
随分、好ペースで売れているがこうなってくると心配なのは必要なのは無駄に列を増やさないことだ。買えない人を列に並ばせるとイベントの運営に支障が出る。
「英梨々、ちょっと残り部数数えておいてくれ。俺は今から本気を出す!」
「倫也、なんかあんたおかしくなってない? まあ、いいけど」
英梨々は大人しくダンボ―ルの中にある新刊の残りを数えている。
「すいません、新刊一部ください」
「はい、五百円になります。……ちょうどいただきます」
「ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございます」
礼をするとすぐさま会計に戻る。やべえ、ちょっとロスしたかも。
「倫也、あと十三部の――」
「すいません! egoistic lilyの新刊は残り十三部となっております。お買い求めできない方はもうしわけありませんが速やかに列からお離れになってください!」
俺の大声に一部からえーとかまじかよーみたいな声が聞こえたが皆きちんと指示に従ってくれた。本当にこういうときのオタクは頼りになる。うちの新刊を買えないなら他を探すべきだとみんなわかっているからだ。
五分もしないうちにそのまま完売した。
「完売です。どうもありがとうございました!」
周りからの拍手がちょっと嬉しかった。例え完売するのが当たり前でもこうして祝ってもらえるならやっぱり嬉しい。
「やっぱり、大手は軒並み売り切れかあ、はあ」
「いや、始まる前に交換してもらった分があるだろ?」
「わかってないわねえ。同人誌即売会なら並んでゲットしてこそでしょ?」
「それこそ、お前が言うのか、出不精のくせに」
英梨々は図星とばかりに怯む。
「それになあ、うちが完売ってことは同じくらい集客力のある王手は軒並み完売してて当然だっつーの。大体なあ、即売会で大手を買おうとしたら並々ならぬ信念が必要なわけ。それをろくに外に出ないお前が――っておい、聞いてんのか?」
「ね、ねえ、倫也。あの娘って」
英梨々が俺の袖を引っ張って、指差した先には黒髪ロングの女性がいた。その服装はどこか周囲から浮いていて、オタクっぽさがない。向こうもこちらに気付いたようで人ごみをかき分けながら近付いてくる。英梨々は、通行の邪魔になるのも気にせず、ただ立ち尽くしていた。
「あ、おはよ。安芸くん」
そして二年前、俺のメインヒロインで、あのときから仲直りが上手くいかず、そのまま進路も違い、自然消滅してしまったはずの加藤恵はまるで二年前と同じようにフラットな挨拶をかましてくれたのだった。
「え、め、恵どうして、ここに!?」
「英梨々の同人誌を買いに来たんだよ?」
そう言って加藤はバックから肌色多めの表紙の同人誌を取り出す。
「倫也、あんた知ってたの?」
「当たり前だろ、会計してたんだから」
「なんであんたたちそんな平然と話してるのよ。だって――」
「悪い英梨々。ちょっと話があるからさ、ここからは一人で回ってくれ?」
「何よ、あたしだけ除け者にしようっていうの?」
「ごめん、英梨々。安芸くん、ちょっとだけ借りていいかな?」
「恵まで……」
英梨々は露骨にしゅんとしている。俺からも、親友であったはずの加藤からも同じことを言われれば傷つきもする。
「英梨々、やっぱりこれは二年前の続きで、俺の問題なんだ。俺はまた作りたいんだ。だから、ここは任せてくれ」
「……わかった。ただし、今度こそ失敗したら許さないから」
「さんきゅな」
ふん、と鼻を鳴らして英梨々は人ごみの反対方向に消えていった。
「じゃあ、行こっか、安芸くん」
「ああ」
俺に任せてくれてありがとな、英梨々。二年前に嵌らなかったピース、埋める時が来たんだ。