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泣き言 in ライトノベル

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青春ブタ野郎は思春期症候群の夢を見ない(考察)

電撃文庫 作品考察

思春期症候群とは電撃文庫より刊行されている青春ブタ野郎シリーズにおいて登場する思春期の子供たちが罹患すると、都市伝説になっている病気のことである

今回はそれについての考察を行う

ネタバレ満載のため未読者は原作を読むことを推奨する

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まず、思春期症候群の罹患者(原作で確認できる範囲に限る)は次の七名である

なお詳しい症状については後述

・桜島麻衣

・古賀朋絵

・双葉理央(2015/04/08追記)

・豊浜のどか(2015/05/21追記)

・牧之原翔子

梓川咲太

梓川かえで(2015/12/13追記)

・ケース1 桜島麻衣

・経緯

作中時間において桜島麻衣高校三年時の五月三日水族館にて、自分が注目を浴びていないことに違和感を覚え、これが最初に自覚である。その後、徐々に症状が悪化。誰からも認識されなくなるが梓川咲太の空気を読まない全校生徒の前での告白により、症状は回復する。

・症状の論理付け

本文中においては桜島麻衣の大きな転換点は芸能界からの引退が挙げられる。これは桜島麻衣が拒否していた、水着のグラビア撮影を母親が勝手に契約を組み、それに対する反撃としての行為である。また、幼い頃から子役として仕事をこなし注目を浴びており、誰も自分を知らない場所に行きたいなどの願望もあった。よって、桜島麻衣における思春期症候群の症状は芸能界の引退による注目の減少に加えて、本人の願望が原因と考えられる。なお、三年の五月三日まで本人が気づかなかった理由は後に考察を行う

・ケース2 古賀朋絵

・経緯

作中の古賀朋絵一年時六月二十七日、同年七月十八日を繰り返す(この表現は適切ではないが、分かりやすさ重視のため)、それぞれバスケ部の前沢陽介の告白を回避したこと、梓川咲太への想いを告げたことによる症状は改善する

・症状の論理付け

古賀朋絵のケースにおいては本人のメンタリティーが大きな問題であると考えられる。古賀朋絵のメンタリティーは正義の女子高生(梓川咲太談)と福岡での中学時代における自分に自信がなかった自分という過去のコンプレックスだと考えられる。つまり、今の外見上の自分と過去の自分との比較においていつ玲奈含む三人グループ内から追い出されるかわからない僅かな恐怖が前沢陽介の告白により現実のものとなり、発症。梓川咲太との付き合いから友人達とのグループづきあいに疑問を感じたこと、梓川咲太が桜島麻衣との関係を成就させることで自分は一人になるのではないかという恐怖から二回目を発症したと考えられる。(注釈:ここでの一人とは本音で話せる人間がいないという意味である。梓川咲太への恋心を秘めたまま友人として付き合うことはそれに当たらない)

・ケース3 梓川かえで/花楓

・経緯

友人とのSNSにおける既読無視からのイジメにより全身に傷が生じる。PC、携帯、スマホなどSNSにつながるものを排除する(見ないようにする)ことで一時的に症状は収まっている。

(2015/12/13追記)

作中における「かえで」は梓川花楓がSNSなどにおけるストレスに耐え切れなくなった結果、解離性障害を引き起こし、生み出された人格である。ここでも原作にならい両者を「かえで」「花楓」と表記する。

上記のとおり、SNSいじめが発端となり「花楓」が思春期症候群を発症する。その後、「花楓」が解離性障害となり「かえで」が生まれる。この後、SNSを身から遠ざけていたにも関わらず、同様の症状が見られる。

「かえで」がひきこもり脱却を目指す中、同様の症状が見られるものの徐々に改善傾向に入る。「かえで」が立てた目標をほぼ達成すると同時に解離性障害が治り?(専門家ではないため、明言は不可)、「かえで」から「花楓」に人格が戻る。「花楓」に症状が見られるかは不明。

・症状の論理付け

梓川咲太が結論付けたようにSNSにおける言葉の暴力が精神だけではなく、身体をも傷つけたからという可能性が一番高い。原作において明言されてはいないが、梓川かえではSNS等にさほど重要性を見出していなかったのかもしれない。また、それらを無視できるほど、梓川咲太のような精神性の持ち主ではなかった。いじめの影響もあるだろうが元々内向的な性格も見受けられ、心無い言葉を深刻に捉えすぎたのかもしれない。いずれにせよ、梓川かえでに関しては原作での掘り下げが十分ではなく確かな結論をつけるのはここでは避ける。

おるすばん妹では、

1.「花楓」はSNSによる中傷を受けた際に症状が見られた

2.「かえで」は母親との生活の中、あるいは社会との交流を行う際に症状が見られた

つまり思春期症候群は必ずしも唯一の人格に対して起こるものではないと推察される。これにより牧之原翔子に対して物語的前例を作ることが目的だと思われる。

かえで/花楓の思春期症候群の原因は自傷行為の具現化ではないかと考える。「花楓」はSNSにおける既読無視からのいじめ、「かえで」はそれが原因でひきこもり、社会的弱者になった、という結果から自分は社会における人員として必要ないのではないかという考えに至ったのではないだろうか。自分は必要のない人間だ、消えてしまいたいそういう自傷的思考が体に刻み込まれたのではないかと思われる。「かえで」は両親が「花楓」ばかりを見ていることに気づき、自分が必要ないのではないかと考えていた。そして咲太“だけ”が自分を必要としてくれたと思っている。そのため、咲太以外からの電話に出ることができなかった。麻衣と電話で話すことはできているが症状は発症している。繰り返しにより症状が治まっていったのは、麻衣が「かえで」を必要としてくれているという確証をゆっくりながらつかむことができたからだと思われる。

また、外に出ることで発症したのもひきこもりという社会的弱者である自分が衆目にさらされることで必要ないのではないかと自覚してしまったからだろう。とりわけ「花楓」時代から悩まされてきた学生についてはより顕著であるといえる。

快方に向かっていったのは社会の構成要素としての自分を認めることができた、というよりも社会の構成要素になれないことの方が社会的弱者の自分をバカにされているという恐怖を上回ったからだろう。つまり「ひきこもりが外に出たとバカにされるのが怖い」よりも「外に出れなくなってしまう」のほうが怖いと判断して「ひきこもりが外に出たとバカにされるのが怖い」という自傷思考が相対的に弱くなったからだということである。現状、完治したかは不明であり、「花楓」もまだまだ思春期症候群と向き合っていく必要性があると思われる。

・ケース4 双葉理央(2015/04/08追記)

・経緯

二人の双葉理央へと分裂する。分裂した二人の双葉理央双方の納得(国見佑真に花火大会に参加する旨、つまるところ自虐精神の改心?)により改善

・症状の理論付け

南条文香が結論付けた通り、孤独感(国見佑真、梓川咲太に恋人ができるため自分と話してくれないのではないか)から来る空白を自撮り行為のSNSへの投稿、徐々にエスカレート。自撮りによる満足感を得てしまう双葉理央とそんな馬鹿な行為をしてしまう自分が許せない双葉理央という矛盾が発生しそれにより分裂したと思われる。改善に関しては、梓川咲太の説得により、バカなことをしていた自分がバカをする必要がない自分に、そんなバカをしてしいまう自分を許せない自分がそんなもんだろうと認めることのできる自分に変化したからだと思われる。

・ケース5 豊浜のどか(2015/05/21追記)

・経緯

豊浜のどか、桜島麻衣の外見が互いのものに変化する。桜島麻衣になる必要はないという認識により症状の改善

・症状の理論付け

桜島麻衣になったのは、母親同士の代理戦争が原因である。桜島麻衣との比較をされてきた豊浜のどかは桜島麻衣になれば母親を喜ばせることができる考えたと思われる。しかし、桜島麻衣でいることの大変さ、自分は母親を喜ばせたいだけであるということ、アイドルという道を進ませたことに不安を感じていた母親の心境を理解することできちんとした自我の確立を行えたため症状が改善したのであろう。母親を喜ばせるのは自分の道を歩いて成功を掴みとったということを見せることだと豊浜のどかは理解したのである。

・ケース6 牧之原翔子(2015/04/08追記)

・経緯

作中時間軸における二年前(梓川咲太中学三年生)において高校生だった牧之原翔子が作中では中学生になっていた

現在の牧之原翔子が思春期症候群だったのか、二年前の牧之原翔子が思春期症候群だったのかは不明

・症状の理論付け

私見だが、二年前の牧之原翔子が思春期症候群によるものではないかと思われる。というのも時間軸の変動は未来においては可能とされているからである。つまり、当時小学生だった牧之原翔子が高校生になっていたという方が、現在大学生であるはずの牧之原翔子が中学生だったというより現実的であるからだ。タイムマシンであるが、限りなく光速に近い速度で動く物体の内部と外部の観測者による時間の経過は前者の方がゆっくりであるとされている(詳しくは書かない)。よって二年前の小学生だった牧之原翔子が思春期症候群を罹患し高校生になんらかの形で症状を改善させ現在に至る。ということではないだろうか。憶測に過ぎないが、高校生になれない両親に迷惑ばかりかける自分が、誰か(梓川咲太)の役にたてたからかもしれない。タイムパラドックスが生じるが、梓川咲太に諭されために彼女の将来が確定し梓川咲太に同じことを諭せたのかもしれない。

・考察 思春期症候群とは何か

梓川かえでのケースを除けば、桜島麻衣、古賀朋絵のケースに共通するのは「現実で起きた嫌なことと、小さな願望が意にそぐわない形で叶えられた」ということである。そして両者とも現実とうまく折り合いをつけられるようになり、症状の解決を見ている。これを考えるに思春期症候群とはある種の神が与えた罰であり、試練であると考えられる。桜島麻衣は母親に黙って芸能界を引退するという子供じみた仕返しを、古賀朋絵も明日が来て欲しくないという子供みたいな願望を抱いた。少なくともこれらはまっとうな大人がやることではない。そして、両者は症状の回復後、きちんと正解を選んでいる(桜島麻衣は自らの売り方についてきちんと母親と話し合う、古賀朋絵は前沢陽介の告白をきちんと断る)。つまり、意に沿わぬ現実に対して逃げてしまった「思春期の子供」に「大人の対応」をさせるための成長する機会が思春期症候群であると考えられる。

双葉理央に関してはも上述した子供の通過儀礼としての側面があるのではないかと思われる。やはり自己が抱える矛盾に葛藤することができるのは子供の特権である。自分が許容できない自分を自らが断罪するという矛盾とうまく付き合うことができるようになって改善されている。双葉理央にとって国見佑真たちと友達であるということは「いいやつ」と対等に付き合える自分という成長なのだろう。(2015/04/08追記)

また上述の桜島麻衣が気づいてからと、芸能界引退後の空白に関しては徐々に進行していった可能性と桜島麻衣の「誰も自分を知らない場所に行きたい」という願望の具体化するまでの潜伏期間があった可能性が考えられる。前者は一年、二年、三年とまんべんなく桜島麻衣を認識していたためその可能性は低く、後者においては潜伏期間が長期間に渡るということを除けばおおむね妥当といえる。だが、原作においてさほど割かれておらず、またその必要もないため断言は難しいと言える。

量子もつれについて

古賀朋絵の思春期症候群に梓川咲太がまきこまれた理由として原作において量子もつれが挙げられている。これを信じるならば梓川咲太が古賀朋絵の症状に付き合わされた理由もまた推察することができる。古賀朋絵の思春期症候群発症前における梓川咲太を意識したのは二回である。一回目は迷子の子供を助けた際、二回目は梓川咲太の桜島麻衣への告白である。一度目において梓川咲太は古賀朋絵の不安をものの見事に指摘している。つまり、古賀朋絵のSNS依存が本人も疑問視しているものであり、それで崩壊するような友情は本当の友情ではないのかもしれないと少しでも思わせたということである。二度目は古賀朋絵の悩みを解決するモデルケースの提示である。全校生徒の醸し出す空気に抗うような、そんなのもは関係ないとばかりに空気を無視する告白が古賀朋絵には「一人でいるのは恥ずかしい」という周囲の空気を打ち破るモデルケースに見えたのだろう。つまり、思春期症候群を大人になるための試練と考えると古賀朋絵がそれを乗り越えるためには梓川咲太が必要であったため、量子もつれを起こしたと考えられる

梓川咲太の思春期症候群とは(2015/05/21追記)

ここからは根拠が乏しい論説である。あらかじめ留意していただきたい。

 思春期症候群は、おおよそ二つの類型にわけることができると思われる

 1.原因の解決がなされない限り、状況が改善されない(仮に常時型とでも)

 2.原因の解決がなされない限り、条件が整えば発生し続ける(発動型)

 こうやって類型すると、桜島麻衣、双葉理央、豊浜のどかが1、古賀朋絵、梓川かえでが2と分類することができる(梓川かえでに関しては類推するしかないが)。牧之原翔子には、中学生と大学生どちらが本体であるか判断できないため保留とする。

 梓川咲太に関しては、胸の傷が一向に消えないことから1であり、未だに原因の改善がなされていないと考えられる。胸の傷は三本であり、梓川咲太の過去において、その数字と関わりがありそうなのは、家族ぐらいしかない。父親、母親、妹である。

 つまり梓川咲太の思春期症候群は家族が根本にあると思われる。想像の域をでないが、梓川家は片働きの家庭である。ひとつは、母親が入院していてもとりわけ生活水準が下がったと思われる描写がなされていないこと。そして、もうひとつは掃除、炊事、洗濯の家事を母親が毎日こなしていたということ。

 さて、梓川咲太の思春期症候群はどのようにして起きたか振り返ろう。とはいっても大して情報があるわけでもないので簡潔に。

 1.(おそらく)梓川かえでの発症よりも後

 2.朝起きたら突然、全身が血だらけだった

 状況を鑑みれば、梓川かえでの発症で、色々と相談したりしていてもおかしくないと言えるだろう。話し合いをするならば、働いている父親が帰宅する夜になってからの方がありえるだろう。

 ここで、梓川咲太の発言の中で気になるものを取り上げてみよう。

・「母さんは、まあ、受け止めようとして、受け止めきれなくて、おかしくなって……今もまだ入院しています」

・「(母親のことを聞かれて)親なんだから助けてくれて当たり前だろって思ったし、僕やかえでのことを信じてくれよって思いました」

 ここでひとつ疑問が生じる。

 母親のことをおかしくなったと認識していたにも関わらず、親なんだから助けてくれ、なんて思うだろうか。普通、違うのではないだろうか。助けを求めるならば、父親ではなかろうか。

 他にも疑問はある。梓川家の立地だ。最寄りの藤沢駅まで徒歩十分。そこから電車で二十分ほどで七里ヶ浜駅に到着する。これは、少々遠くないだろうか。おそらくは元々借りていたマンションを使っているのだろうが、ならなぜ父親が住んでいないのか。元々借りていたマンションなら、そこが梓川家の生活空間だっただろうし、病院も近くあるはずだ。たとえ遠い病院に入院していて、近くに父親が住むことになったとして息子のことを考えれば、七里ヶ浜駅付近のアパートを借りてもおかしくはない。

 つまるところ、梓川家にはなんらかの家庭的不和があったのではないかと思われる。そして邪推だが、母親が心を壊す最後のひと押しは梓川咲太によるものではないか。溜め込んでいた不満をぶつけた可能性は大いにありうる。そして家庭をぶっ壊したことに対する(母親、父親、かえでに対する)罪悪感が三本の傷の正体ではないかと思われる。

 そして、さらに穿ってみてみれば、梓川咲太の思春期症候群にはさらなる可能性があると言える。一巻を読んでみると思春期症候群の一例として、「未来視」「体の入れ替わり」が挙げられている。これは間違いなく、古賀朋絵と豊浜のどかのことであり、そしてもう一つ「心を読める」というものがあった。もちろん、意味のない描写であるということは否定できないが、三分の二が使われていることを鑑みれば、また、物語の根幹をなす思春期症候群に関する描写であることを考えれば前振りとして機能していることは十分にありうる。仮定の上に仮定を重ねることほど、信憑性がないことはないが、梓川家の家庭崩壊の最後のひと押しを梓川咲太がしたとすれば、深い後悔を抱いていてしかるべきである。ならば梓川咲太はこう思ってもおかしくはないだろう。

「人の心を読めればいいのに」と。

 梓川咲太自身も母親のやっていたことを自分がやってみて初めて理解したとのセリフがあり、母親が母親らしいことをきちんとこなしている、ということを理解していれば最後のひと押しをせずにすんだかもしれない。

 また二巻での量子もつれについて、咲太自身が「量子同士のテレパシーみたいなものか」との発言をしており、これも前振りとして機能しているかもしれない。

 咲太に対する「なんで、あんたが一番言ってほしいこと言うわけ」という豊浜のどかの言葉にあるようにほしい言葉を言って挙げられるのは誰か(量子)のSOSのようなものを受け取れるからではないだろうか。同時にこれは、古賀朋絵、豊浜のどかに関して桜島麻衣に言われた惚れられるかもしれない、という心配を全く理解できていなかったことにも説明がつく。これは、わかってほしくないからであり異常なほどの察しの良さを見せる咲太が見せる鈍感な部分というおかしなところの説明にはなるだろう。

 結論として、梓川咲太には家族の気持ちを考えず発言したことで家庭内の不和を招き、それに対する叱責(もしくは罪悪感)により、胸の傷を負い、家族の抱える辛い気持ちを察することができれば円満になれるという願望からテレパシー(のような能力)の思春期症候群を発症していると思われる。

(2015/12/13追記)

梓川咲太の思春期症候群のトリガーとなるとものは、喪失感だと思われる。一回目は「花楓」が「かえで」になったとき。二回目は「かえで」が「花楓」になったときである。いずれも咲太は強いストレスに襲われており、そばにいてくれる誰かが必要であったのではないかと思われる。つまり咲太のことを理解してくれる存在が思春期症候群であると思われる。

咲太の胸にある三本の傷は両親とかえで/花楓の三人分であると思われる。つまり、「かえで」のことを受け入れられずに発症したが、翔子の言葉で「かえで」を受け止められるようになり症状は収まったが、「かえで」の消失を受け止められずまたも発症したと思われる。三人のことを認められないため、受け入れられないため三本の傷が生まれた。あたかも、自分の体から三人が消えてしまったかのように。

疑問はなぜ、咲太のことを一番理解してくれる存在が翔子なのかということである。中学生の翔子が成長した結果高校生となり咲太にアドバイスしたとすれば、その理解もうなずけるがそのアドバイスができる咲太は高校生の翔子にアドバイスをもらわなければ生まれ得ないことになり、タイムパラドクスが生じている。

・なぜ、量子物理学なのか(2015/04/08追記)

ここで起こる思春期症候群は基本的に量子物理学の知識で仮定としての説明は行うことができる。これは物語上で散々言われているとおり量子の存在が確率的であり観測者の観測によって始めて確定するからではないだろうか。つまり、子供たちを可能性に満ちた存在として定義していてなおかつ周囲の人間、観測者が彼らがどんな人間かを規定している(例えば、上里沙希と桜島麻衣では梓川咲太に対する評価が全く異なるように)。という意味を込めているのかもしれない。

・さくら荘キャラクターについて(2015/04/08追記)

これは各巻における成功モデルではないかと思われる。一巻では逃げる彼女を彼氏が抱きとめる。これは意地を張りがちな桜島麻衣のそばに梓川咲太がそばに居続けたことと似ているし、二巻においても意図こそ違えど彼氏が彼女のありのままをそのまま伝えること、三巻においても彼女がどうなっても彼氏がいつも通りでいてあげることが正解として提示されているのではないだろうか(三巻は解釈にかなり無理があるが……)

今後の展開について(2015/12/13追記)

おるすばん妹で修羅場になったとおり麻衣と翔子の全面戦争が予想される。というのも、プチデビルの未来視、ロジカルウィッチの同時存在、シスコンアイドルの入れ替わりは中学生翔子と大学生翔子の存在を肯定しかねないものである。

つまり、壮大な前振りではないかと思われる。

また、その結果浮いてしまったバニーガール、おるすばん妹の思春期症候群は咲太の思春期症候群の前振りだと思われる。もっとも量子力学における観測理論では同一人物の同時認識はありえないこととされている。そのため、物語の観測者としての咲太が自らの思春期症候群をどうやって観測するか、あるいは他人からはどのように観測されているのか(おるすばん妹で観測されているがそれは明確されていない)まったく描かれていないからだ。咲太と翔子の会話は原則対面でしか描かれておらず、国見、双葉でさえも咲太の言葉を信用しているに過ぎない。

最後に青春ブタ野郎シリーズはこのような考察の余地があるだけでなく、物語として非常によくできている。思春期症候群を通して描かれる若人たちの青春模様は甘酸っぱいだけではなく、時には苦い思いを残すこともあるリアルさがある。ぜひ、一読をおすすめする(ネタバレ満載の考察のあとに言う事ではないかもしれないが……)

ノシ